最高裁判所第三小法廷 平成5年(オ)1369号 判決 1994年7月19日
長野県小諸市甲四五八六番地三
上告人
日精エー・エス・ビー機械株式会社
右代表者代表取締役
青木大一
右訴訟代理人弁護士
田倉整
早川治子
飯沢進
長野県埴科郡坂城町大字南条六〇三七番地
被上告人
青木茂人
同
埴科郡坂城町大字南条四九六三番地三
被上告人
株式会社青木固研究所
右代表者代表取締役
青木茂人
右当事者間の東京高等裁判所平成三年(ネ)第三三九号特許権帰属確認等請求事件について、同裁判所が平成五年三月三〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人田倉整、同早川治子、同飯沢進の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)
(平成五年(オ)第一三六九号 上告人 日精エー・エス・ビー機械株式会社)
上告代理人田倉整、同早川治子、同飯沢進の上告理由
原判決には、以下に述べるとおり、審理不尽、採証法則の誤り、経験則に違背等、民事訴訟法第三九四条後段の判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背がある。
また、同法第三九五条第一項第六号に該当する理由不備、理由齟齬がある。
よって、原判決の破棄を求めるものである。
一、原判決において、本訴請求の基礎として上告人が主張した事実は、原判決理由第二の冒頭に記載されているとおり、上告人会社設立時、亡青木固との間でASB機に関する包括的権利の独占的実施権を設定する契約を締結したこと、昭和五四年六・七月頃、右契約を変更し、ASB機に関する包括的権利譲渡契約を締結したということであり、本件はその存否が争点であった。
この前段と後段の二つの契約の存否について、原判決は前段の包括的権利の専属的実施契約については、明確な書証はないがその存在を推定できると認定したが、後段の包括的権利の専属的実施契約の変更契約である包括的権利の譲渡契約の存在については、明確な立証がないことを理由に、立証責任を負担する上告人に不利益に判断する他ないという理由でこれを否定した。
以下、原判決が、この二つの契約のうち、後段の包括的権利譲渡契約を否定するに至ったことは、審理不尽、採証法則の誤り、経験則違背等法令違背の結果であり、かつ原判決には理由不備、理由齟齬があるので、これらについて詳述する。
原判決は上告人の二つの契約の存否に関する主張に対し
(一) 先ず、理由第二項1において、「控訴人は、亡青木固の研究開発したASB機の製造販売のため、亡青木固が長男である青木大一を説得して設立されたものであることに照らすと、契約書等の書証はないが、亡青木固は控訴人のため、ASB機に関する包括的権利について、これを専属的に実施する権利を設定したものと推定して差し支えない。」として、上告人主張の最も重要な基本的事実について書証がないにも拘わらず正しく推定した。
もっとも、原判決はこの推定の理由を、亡青木固がASB機製造販売を目的とする会社を、長男である青木大一を説得して設立させたものである、とのみ記載しているが、その推定は、原判決の掲げた一つの理由のみによるものでないことは言うまでもない。
即、右推定の基礎には、単に右会社設立の経緯の他、
(1) ASB機は一つの権利だけで製造販売できるものではないこと、
(2) 現に数々の関連権利が使われている事実、設立に至るまでの間における亡青木固と青木大一との話し合い内容、つまり包括的権利の独占的実施と実施料の支払いは日精樹脂方式ですること、
(3) 科学技術進歩の著しい時代における産業機械の市場性維持のためには、日精樹脂で製造する機械と同様に、ASB機においても日夜研究改良を重ね新規性を付加する必要があること等々について、設立の際、亡青木固と青木大一とが、検討し、話し合い、合意した各事項に関する青木大一本人の供述が主として採用され、これらの各事実をもとに経験則に導かれた合理的推定であったことは言うまでもない。
とするならば、同じ推定過程から、包括的権利の専属的実施料について二%とする旨の有償性の合意が存在したことも同時に推定されるのが経験則に合致する。また、その後の状況の変化、新たな事情の発生が契機となって、包括的権利の専属的実施権設定契約が譲渡契約に変更されたことについても、仮に明確な証拠書類が存在しなくても、通常人の経験則に照らすと合理的に推定することができる筈である。
即ち、会社設立にあたっての包括的権利の専属的実施契約締結後、アメリカのシンシナティ・ミラクロン社がASB機類似製品を発表したため、対応処置をとらなければならない事態が発生したこと、当時六五才であった亡青木固は胃癌に犯され昭和五四年春手術をうけることになったこと(以上はいずれも争いのない事実である)の二つの事態発生が契機となり、青木大一は、これらの問題について亡青木固の心身の負担軽減を図ること、同時に病床にある亡青木固に多額の収入を得させて喜ばせたいという意図のもとに、包括的権利の譲受けを申し出、亡青木固はこれを承諾し、昭和五四年六・七月ころ、日精樹脂方式で定めた二%の実施料を根拠にして算出した代金一五億円で売買契約が締結されたこと、その代金は五年間に分割して支払われたこと(代金支払いの事実について争いはない)、ASB機に関する包括的権利は、当初の包括的権利の専属的実施時代と変わることなく無限定に使用されつづけていること、(この部分も争いはない)、その上、亡青木固からは使用の差し止め或いは実施料の支払い等の請求を受けたことがないこと、亡青木固との間に技術的問題と営業的問題とのギャップから親子の関係が険悪になった昭和五六年以降、特に昭和五八年の青研の契約更新拒絶以降でさえ、今日までの長期間にわたり、亡青木固およびその承継人である青木茂人から何ら請求がないこと(この事実も争いのない事実である)、等々の事実から、包括的権利の専属的実施契約の存在を書面がないにも拘わらず推定するための証拠となったと同じ青木大一の供述により推定するならば、包括的権利の譲渡契約の存在は経験則から容易に推定することができる。
(二) しかるに、原判決は、後に詳述するように証拠価値のない乙第一三号証(亡青木固のメモ)を証拠として採用し、さらに、甲第三号証の契約書が、青研と上告人との技術援助契約であることについての明確な認識を欠き、契約主体は「青研=包括的権利の名義人である亡青木固」、であるかのような混乱を来したままで証拠認定をするという、重大な採証法則の誤りを犯した結果、突如として明確な証拠がないとの理由をもって、経験則から当然に推定される因果関係を中断し、推定を覆し、立証責任を上告人に負担させるに至ったのである。
(三) しかし、このように、当初原判決の推定した基礎事実の上に加えられた種々の事実から、通常人であれば、経験則に従って容易に推定できる包括的権利の譲渡契約の存在を、あえてその推定の因果系列を中断させ、推定を覆すためには、それに足る特段の積極的理由が必要である。
しかし、原判決が、特段の理由として挙げたものは、いずれも推定を覆すに足りる決定的理由ではない。
すなわち、「明確な書証がないこと」については、包括的権利の専属的実施契約の存在という基本となる重要な事実についてさえ、明確な書証なしに認定したのが原判決であるから、専属的実施契約の有償性ならびにこれを基礎とする包括的権利譲渡の合意の存在については、明確な書面を要求することは首尾一貫性を欠き理由にならない。その他、原判決が掲げるが、それには明確な根拠や有効な理由が認められない単なる「疑念」を理由としているにすぎない。しかも、原判決が「疑念」を抱くに至ったとする理由は、後に述べるように適法な証拠によるものではないから、その「疑念」自体を適法な証拠判断の前提とすることができないことは当然である。
包括的権利譲渡契約は要式行為ではない以上、また初期の右実施契約の存在を書面なくして認めた以上、書面がないことを理由に包括的権利譲渡を否定するだけの明確な根拠が必要となる。また、証拠判断の誤りから生じた不適法な「疑念」は、経験則推定を覆すに足る特段の理由とは言えないから、これらを理由として、包括的権利譲渡契約の存在にいたる推定を覆し、上告人に立証責任を負担させた原判決は論理必然的に違法な判決である。
(四) 以上のように、証拠価値のない乙第一三号証を証拠として採用したこと、また、証拠による判断の対象を誤り、甲第三号証の契約当事者と包括的権利の権利者とを混同したまま判断の基礎とするという、法律家として到底してはならない初歩的ミスが存在する事実からして、原判決は証拠に基づかない違法な判決であり、このような採証法則の誤りは審理不尽の結果によるものであることは言うまでもない。
原判決は、審理不尽、証拠に基づかない、採証法則を誤った、理由不備、理由齟齬の判決であるから破棄を免れない。
二、違法な判決に至らせた採証法則の重大な誤りについて述べる。
(一) 証拠の成立(作成名義と原本の存在についての形式的な問題)と証拠価値の存否とは明確に峻別すべき事項であるところ、原判決は証拠価値に関する判断を徒に放棄し、証拠価値のない乙第一三号証を単に成立が認められる過程のみを記して証拠として採用したことは違法である。
即ち、
乙第一三号証のメモは、その記載内容を、他の証拠、作成時期、作成の動機から、総合的に判断すれば、如何に真実とは掛け離れた証拠価値のない書類であるかが明白となる。
即ち、
(1) 記載内容<2>には、「当時(昭和五三年一一月)日精樹脂工業の取締役管理部長であった点を↑ウソである。退職していた、苦境にあった・・・・」等と記載されている。日精樹脂の商業登記簿謄本の役員欄である乙第一二号証をみれば、青木大一は、昭和五一年一二月三日日精樹脂の取締役に就任した旨の登記があり、かつ第九回の青木大一本人尋問調書にはそれに沿った供述がある。従って、青木大一は日精樹脂を辞めて株式会社八一の社長であり、かつ経営は順調に行かないで苦境にあったなどのメモに書かれた状況が無かったことは客観的事実である。従って、この記載は事実に合致しないものであることがわかる。
(2) 三枚目に記載されている事実は、「一切の権利を譲渡した事実を否認し一件だけであること、売りたくないし、ましてや一五億円と言うような常識外れの高額で売ることには反対した。・・・当時アメリカのシンシナテーミクロン社との特許係争中であり、アメリカの弁護士のすすめにより、・・・」ということで、売買された権利は一件だけ、一五億円の高額を正当化する理由の記載である。
しかし、甲第一八号証、同第一九号証、同第三〇号証の一、甲第二号証、甲第二三号証などを見ても、これら書証は包括的権利の一部にすぎないとはいえ、少なくとも「一件だけ」ということが間違いであることは明白である。のみならず、甲二二号証には、アメリカの弁護士であるカール・カスチン氏が、「私が関わり合ったことは、アメリカ合衆国でシンシナチミラクロンを相手としたこの訴訟を扱うことに限られていました。私は、日精エー・エス・ビー機械株式会社が青木固氏からASB機械の特許権の譲渡を受けるように提案したことは全くないし、また、青木固氏から譲渡を受けるASB機械の特許権の価格を決めたり、また、或る価格を提案したことも全くありませんでした。」と記載している。さらに、これを裏付けるように乙第五号証には、価格は「一ドルを含む有償」と記載されているにすぎない。もし、乙第一三号証メモに記載された事実が真実存在していたならば、アメリカ訴訟に提出された乙第五号証には金一五億円と記載されていた筈である。
亡青木固は、さすがに金一五億円の支払いを受けた事まで否定することは出来なかったが、包括的権利の譲渡を記した明確な証拠が存在しないことを奇貨として、これを故意に否定するため、言い換えれば、亡青木固は包括的権利譲渡の対価として金一五億円を受領したことを知っていたから、一件の譲渡代金と言うことが、如何に非常識であるかを認識していたから、これを正当化するために、アメリカ訴訟における弁護士の指導であるというような苦肉の方便を書いたものであることは、容易に推認できるところである。
(3) このメモの記載内容は、本訴が提起された後の、上告人の第一審第一回準備書面(昭和六二年三月三〇日付)の主張に対応しているから、メモ作成時期は青木茂人の供述と異なり、昭和六二年三月三〇日以後の作成であることがわかる。
亡青木固は、長男である青木大一から訴訟を提起された怒りの心境で、遮二無二自分の立場を防御するために、明確な事実までも否定し、捏造した事実を平然と記載したことは、前記したとおりで、このメモは、感情に任せた自己弁護と自己顕示に終始したものである。
従って、全体として信用性がないから証拠価値がないことは明白で、これを証拠として採用することはできない。
しかるに、原判決はこれを証拠として採用し、本件判決理由の全体像をこの証拠から導き出し、その全体像に従って他の重要な事実を経験則の因果系列から外し、立証責任を上告人に転嫁するに至ったのである。
何度も言うようであるが、原判決は、包括的権利の専属的実施契約の存在という重要な基本事実を、書面がないのに推定したのだから、包括的権利の専属的実施契約が、前述の二つの事態発生を契機として包括的権利の譲渡に変更となったこと、金一五億円もの高額な譲渡代金が支払われたなど、前記したような事実を総合すれば、書面のないという一事が、その経験則による推定を妨げる決定的理由にはならないことは言うまでもない。
原判決は、証拠価値のない乙第一三号証を違法にも証拠として採用したのみならず、他の証拠についての取捨選択、及び選択した証拠の内容を部分的に取捨選択した点についても何ら理由を付していない。原判決の証拠採用の状況は、乙第一三号証で作られた裁判官の心証に合致する方向で、言い換えれば亡青木固のメモに沿った部分だけを「つまみぐい」したといっても過言ではない。その恣意的態度を示す顕著な事実は、その記載内容から当然に乙第一三号証の内容が信用できないものであることが認識できる乙第一二号証や甲第二二号証を無視したことに代表される。このように見ると原判決は証拠に基づいた裁判と言うにはほど遠い違法な裁判であることがわかる。
(二) 次に重大な採証法則の誤りを犯した甲第三号証の扱いについて述べる。
原判決は、甲第三号証の契約当事者についての明確な認識を欠いた。
甲第三号証は青研と上告人間の技術援助契約である。この契約の対象とする事項けすべて法人相互の関係であって、亡青木固の包括的権利はその対象ではない。
従って、甲第三号証が証拠として直接的に機能するのは、上告人と青研との関係、両者間の権利義務関係の存否の判断に限られる。別言すれば、亡青木固の包括的権利の帰属が争われている本件包括的権利に関する判断についての直接的証拠とはならない。(なお、上告人が甲第三号証を証拠として提出したのは、青研に対するASB機の製造販売差し止め請求をしていたからであるが、この請求は控訴審口頭弁論終結直前取り下げられた。)
しかるに、原判決は包括的権利の専属的実施権が無償であると誤った結論を出すための根拠として、甲第三号証により、上告人から青研に支払われる一〇%の対価を取り上げ、これを亡青木固の包括的権利の専属的実施料に代わるものと見ることができると判断し、包括的権利の専属的実施料は無償であると結論した。
しかし、甲第三号証の一〇%は青研への支払いであり、包括的権利の実施料はあくまでも個人亡青木固個人の権利に対する支払いの問題であるから、どのような論理でこのように当事者をすり替えることができるのか不思議である。法律家の中の法律家と言っても過言ではない裁判官が、個人と法人とを混同した論理を展開するなどあってはならないことである。原判決は、無償であるとの誤った結論を根拠づける重要な証拠として、乙第一三号証とともに甲第三号証が使われたことは明白である。
包括的権利の実施料が無償であるとの判断は、包括的権利の譲渡代金の一五億円の算出根拠についての上告人の主張、これに見合う青木大一の本人尋問の結果を否定し包括的権利譲渡契約の存在の推定の妨げとになる。この誤った原判決の前提が如何に判決結果に重大な影響をもたらしたかは明白である。
また、甲第三号証の契約を、昭和五八年一二月、青研が更新拒絶をしてきたことをもって原判決は、包括的権利の譲渡契約が存在しないと判断する証拠とした。
この点についての原判決の誤りについては後に詳述するが、原判決は、包括的権利は亡青木固に属すと言いながら、包括的権利の譲渡の存否に関し青研との契約書である甲第三号証を取り上げて判断していることは、権利の主体とは別個の契約であることを無視し、混同させて判断の材料していることを物語る。原判決は判決書第一八丁裏七行目には「被控訴人青研(亡青木固)が判断したこと・・・」と記載し、契約主体と権利主体の区別を明確にせず、法人と個人とを一体化して表示していることは、原判決の混乱ぶりを表す何よりの証左である。原判決は、明らかに証拠の採用を誤ったもので、判決理由は混乱矛盾に満ちており、違法である。
(三) 他にも採証法則を誤った判断があるが、個々の判決理由の誤りや矛盾、理由不備、理由齟齬を以下に述べる際指摘する。
三、すでに述べたように、原判決は、上告人の請求を、上告人に立証責任を負担させることで棄却したのであるが、その棄却させるに至った理由、言い換えれば、経験則にもとずく推定に至る因果系列を中断放棄し立証責任を上告人に負担させるに至った個々の理由について、論理過程を分析し、それらの理由が、審理不尽の結果による誤った採証法則による心証形成の結果であるかについて述べる。
(一) 原判決は判決理由第一項において、総論として本件事件の全体像を認定した。
その認定の基礎として乙第一三号証が使われ、乙第一三号証によって亡青木固の主張に沿うような心証を形成したことは、判決理由中に、シンシナティ・ミラクロン社との訴訟について、「・・・、青木大一は、アメリカの弁護士とその対策を検討した結果、控訴人が訴訟当事者となることが得策であるとの助言によって・・・アメリカ合衆国特許第四一〇五三九一号の特許権の譲渡を受け・・・・」と、乙第一三号証記載内容に合致した認定をしていることから明白である。
判決理由第一項中、右以外、具体的に乙第一三号証のメモが証拠として使用されたと明示できる事実の指摘はできないが、判決理由第二項以下の認定をみれば、原判決の認定に重大な影響を及ぼす裁判官の心証形成、弁論の全趣旨として裁判官が抱いた本件事件の全体像に、乙第一三号証が重大な影響をもたらしたことがわかる。
すでに述べたように、乙第一三号証は証拠価値のないものだから証拠として採用したこと自体違法であり、この違法な証拠方法の結果が、全ての判断の前提を形成したこととなる原判決は違法な判決である。
(二) 原判決の判決理由第二項は、前項の全体像を前提に個々の理由を取り上げている。しかし、これらの理由は、本件の全体像が誤って形成された上に構築された理由であるから、その大前提の部分が誤りであることがわかれば、論理必然的に、包括的権利の譲渡契約推定を覆すような決定的な理由ではないことがわかる。
以下、個々の理由が如何に根本的な誤りに起因するかを分析する。
(1) 第二項1は、原判決が第二項2以下に挙げる幾つかの判断の大前提となる認定であり、その誤りは判決に重大な影響を及ぼすことはいうまでもない。
判決理由第二項1の冒頭において、まず包括的権利の専属的実施契約の存在を推定したのだから、第二項1のそれに続く実施料に関する認定の誤り(無償であるとした点)さえ犯さなかったならば、第二項2以下において判決が、「疑い」、あるいは事実として指摘したことが、包括的権利譲渡契約の存在の推定を中断し、覆すような重大な理由とはならなかったのである。
以下、第二項1における原判決の誤りを指摘したい。
<1> 原判決は、書面がないにも拘わらず、包括的権利の専属的実施契約の存在を、上告人設立の経緯、目的から推定したのは、前記したように上告人が主張するところの、設立時、及びそれ以降、不断に、無限定に、ASB機に関する関連権利がASB機製造に使われている事実、亡青木固や青研との関係悪化ののち現在までも、使用権利について、亡青木固乃至は亡青木固の承継人である青木茂人からクレームがないこと、以上の各事実についての青木大一本人の供述が、証拠として採用されたからであることは明白であるところ、原判決は右推定を記載した同じ項目の中で、一転してその有償性を認定することができないと判断し、その理由として、書面が存在しないから、また、青木大一本人尋問を裏付ける他の証拠がないから、認められないとう。
<2> では、何故、包括的権利の専属的実施についての合意の存在について、明確な書面がないのに推定できたものが、この契約と同時に定められるべきであり、定められたと推定することが合理的である、包括的権利の実施料に関し、突如として「書面がない」という理由で、有償(二%)の合意の存在を否定することができるのであろうか。
包括的権利の専属的実施契約締結の際、通常実施料について取り決めるのは当然であるから、その契約の際、実施料に関する取り決めがあったと推定することは経験則から当然のことである。ましてや乙第一七号証にあるとおり、亡青木固は、自分が自分の権利に基づく機械の製造販売によって、利益をあげるために設立した会社である日精樹脂から、実施料を貰っているのである。言い換えれば、亡青木固は日精樹脂から実施料と、日精樹脂の株主として利益の分配金と、役員としての報酬と、三面からの収入を得ているのである。これに引き換え、亡青木固は上告人会社の役員でも株主でもないから、上告人からはASB機に関する包括的権利の専属的実施権の実施料だけしか収入は得られない。従って、包括的権利の専属的実施契約を締結した際、これを無償にするなどということは常識では到底考えられないことである。
とすれば、青木大一が本人尋問において、日精樹脂方式に従った包括的権利の専属的使用を約し、実施料が二%と定められたと供述しているのだから、その供述を採用するのが自然であり経験則に合致する。
のみならず、原判決が証拠として採用した、乙第一三号証の亡青木固のメモにさえ「実施料は無償であった」などとは一言半句も書いていないばかりか、逆に有償性を否定し、かつこれを疑わせるような、即ち無償であったことを裏付ける明確な証拠は全く存在しない。もっとも、原判決は、甲第三号証第五条によって、上告人が青研に支払う一〇%の対価が、亡青木固に対する実質的実施料にあたるという解釈を勝手にしたうえで、無償であるとする根拠としているが、これは明らかに誤りである。この点については、後に、<5>において纏めて述べる。
<3> では、なぜ原判決は、このような経験則に合致する推定を放棄し、突如決定的理由とはなりえない「書面がない」というだけの理由をもって、有償であったことを否定したのであろうか。
原判決は、乙第一三号証の亡青木固のメモに振り回され、心証形成がなされた結果によると考える以外到底理解不能である。原判決は、乙第一三号証の中で、亡青木固が、対価を支払って前記各権利を譲受けることとしたなどという上告人の主張が根本的に間違っている、と書いていることに引きづられ心証を形成してしまったからに他ならない。
原判決は、上告人主張の実施料二%の合意の存在を認めるならば、一五億円支払いの事実が、包括的権利の譲渡の合理的推定に繋がることになるから、そのような推定に至る因果の系列を断ち切るためには、まずその基本として有償であったことを否定せざるを得ないことになった。そのために、最も重要な基本的合意である当初の包括的権利の専属的実施権設定については明確な書面によらずにこれを認め、実施料については、あえて書面が存在しないことを理由に否定するという、まことに一貫性を欠いた、法律家としては到底考えられないような無理な論理を展開したのである。
<4> そして無理な論理の支えとして、原判決は、有償合意があるならば、例え親子であっても書面化される筈であるとか、日精樹脂との契約書(乙第一七号証)には、対象となる権利が明示され、かつ実施料についての算出根拠を一%とすることが記載されているのに、それよりも高率の二%の支払いの合意であれるのに書面化されていないのは、その合意を疑わせるなどと判断した。
乙第一七号証をここで認定の資料とした原判決の重大な論理矛盾は、乙第一七条には「対象となる権利が明示され・・・」ているのに、その明示がないとしたことである。原判決のような論理を辿るなら、明確な権利の明示のないまま、包括的権利の専属的実施契約を認めることはできなかった筈である。対象となる権利の明示ないままの包括的権利の専属的実施についてその契約の存在を推定しているのなら、有償契約の存否の認定についてのみ、対象権利の明示を云々するのは論理矛盾も甚だしい。この部分一つだけを取っても理由齟齬の判決であることがわかる。
また、乙第一七号証の存在は、本件包括的権利の専属的実施料の有償性に関する書面がないことをもって、即無償であると結論づける決定的根拠とはなりえない。なぜなら、乙第一七号証は日精樹脂とその取締役である亡青木固(乙第一二号証参照)との契約であり、商法第二六五条にいう取締役と会社間の取引、即ち利益相反行為に該当することは法律上明らかな事実であるから、取締役会の承認決議を経て契約書が作成される必然性を法律専門家なら誰でも理解できることである。上告人と亡青木固とめ関係のように、同種の商法上の要求がない両者の契約を、日精樹脂と亡青木固との関係と同一の土俵に乗せて判断しようとした判決には無理があるばかりか、理由不備、理由齟齬がある。
<5> さて、原判決は、無償であったとするもう一つの根拠として、甲第三号証を取り上げる。
即ち、上告人と青研との技術援助契約に基づいて、上告人から青研に支払われる一〇%の対価が、亡青木固が包括的権利の専属的実施料を求めない、即ち無償であることの根拠としたのである。この契約は上告人と青研との契約であり、青研の代表取締役が亡青木固であるとはいえ、青研は亡青木固の包括的権利についての権利者でないことは当然である。青研は亡青木固とは別個の法人であり、亡青木固以外の従業員も沢山おり、技術者も沢山いる。技術援助の仕事に携わるのは青研であって亡青木固一人ではない。青研への一〇%の支払いが何故亡青木固の包括的権利に対する支払いに解消できるであろうか。その理由は不明である。仮に、亡青木固が私財を以て青研の建物を建てたということが真実であったとしても、そのことは、上告人から青研に支払われる甲第三号証に基づく技術援助契約の対価が、亡青木固の包括的権利の実施料に解消される理由にはならない。ちなみに、甲第三号証の契約期間中の約五年間(昭和五三年一一月から昭和五八年一〇月まで)に、上告人から青研に支払われた金員の総額は、甲第三号証第五条による一〇%の支払いが約一四億六五〇〇万円(甲第六一号証)第七条による支払いが約一億四二〇〇万円(甲第五八号証乃至六〇号証)であるところ、包括的権利の実施料が無償であった理由が、この一〇%相当の支払いで推察できると言うのであれば、何故、その後の権利譲渡に対し金一五億円という巨額の代金が、亡青木固に支払われたのであろうか。原判決の認定した譲渡権利は僅かに二件にすぎないし、亡青木固の主張する乙第一三号証によれば唯の一件にすぎないのである。その僅かな権利のために何故金一五億円が支払われるのであろうか。原判決や亡青木固が記載するように、一件乃至二件の権利に対する対価であったとすることは、通常人の常識に著しく反するものである。
亡青木固が主張するように、シンシナティ・ミラクロン社との訴訟におけるアメリカの弁護士の示唆によるものでないことは、すでに甲第二二号証により乙第一三号証を弾劾した箇所で詳述したとおりである。
金一五億円支払いの事実は動かすことのできない事実である。包括的権利の実施料が無償であると認定する根拠は、甲第三号証の一〇%の支払いがなされているから、という原判決の理由とは相矛盾すること明白である。
しかも、原判決は、包括的権利の専属的実施契約が存在した事実を前提にして金一五億円が譲渡代金とし支払われた点を認めているのだから、巨額な対価の対象権利について素直に経験則を働かせたならば、その対象権利を誤ることはなかったのである。原判決が金一五億円の支払の対象物件について、曖昧さを残しているとは言え、これを二件であると判断したことは軽率であるばかりか、論理矛盾も甚だしい。
<6> 以上のように、原判決は、個人と法人とを混同し、亡青木固との契約内容に関する認定には無関係である甲第三号証の契約書を、包括的権利の使用料、延いては包括的権利譲渡契約の存否に関する証拠として引用したという、証拠方法の誤りを犯したのみならず、論理矛盾即ち理由不備、理由齟齬の違法な判決である。
(2) 第二項2において、原判決は、有償性の合意の存在の立証がないから、これを根拠とした包括的権利の譲渡契約の存在を疑わざるを得ないと認定した。
この有償性が認定できないとする第一項の誤りについては、すでに指摘したとおりであるから、「有償ではなかった」ということを前提にした包括的権利の譲渡契約存在の否定は、論理必然的に誤りであることは言うまでもない。
しかし、原判決が本項において、更に別個の観点から、包括的権利的譲渡がなかったとする理由を検討するとして挙げた、以下の七項目の理由について検討する。先ず、原判決の七項目を記載の順序に従って整理すると、
(ア) 包括的権利譲渡に関する書面がない。代金一五億円の対象権利は非常に広範であるから、親子の間といっても、また法律の専門家でなかったとしても、書面のないことは不自然である。
(イ) 甲第三号証の技術援助契約の更新が四回あったが解約通知の来る昭和五八年一二月までの間に、四件(乙第六号証の一・二乃至乙第九号証の一・二の権利)の権利移転は可能であったのに、履行されていない。
(ウ) 乙第一三号証、乙第一号証や、青木茂人の尋問の結果から、青研が甲第三号証の更新を拒絶した理由は、乙第一号証前文の「特許を始めその関連機器装置に関する権利及びノウハウを専有している」との記載について、青研(亡青木固)が事実に反すると判断したことによるものと認められる。
(エ) 亡青木固は自己の有するASB機に関する包括的権利の無償実施を許諾し、青研がその権利の実施について援助するために、甲第三号証の技術援助の合意があるのだから、包括的権利が亡青木固に帰属していることが前提である。
(オ) 甲第一号証に乙第六号証の権利の記載のないことは、税務目的の文書とすれば正確性を欠く、単に手落ちであるとする青木大一の供述は採用できない。そのことは、包括的権利譲渡の合意の存在の疑いにも及ぶ。
(カ) 甲第二号証の作成目的に関する青木大一の供述は一貫性がない。
(キ) 被上告人は、上告人設立後、第一審判決まで、使用の差し止めや使用料の請求をしたことがないことを認めるに止まり、その後の被上告人の態度については、これを認めるに足りる証拠はない。
被上告人が本訴に応訴したことが帰属を争う態度を示したものである。
ということである。しかし、右原判決が、有償性が認められないこととは別個の観点の理由であるとするものは、いずれも、採証法則を誤った乙第一三号証及び甲第三号証による心証形成ならびに誤った証拠判断の結果であること、かつ、包括的権利の実施料が無償であるとする認定が大前提となっているものであることは、その内容から明白である。
従って、以下に述べるとおり、包括的権利の譲渡契約の存在の推定を覆す根拠とはならない。
<1> 包括的権利譲渡を記載した書類がないという点については、包括的権利の専属的実施権設定契約の存在について、書面がないにも拘わらずこれを推定したのが原判決である。
包括的権利譲渡の対象は包括的権利の専属的実施権の対象と同一権利であり、すでに存する包括的権利の専属的実施権設定契約が、包括的権利譲渡契約に変形したにすぎないのだから、ここに至って事改めて、書面がないことをもって、包括的権利譲渡契約の推定を覆す理由とはならない。
むしろ、包括的権利譲渡への変更に関する合意は、亡青木固が発明したASB機を専門的に、かつ本格的に事業化するために、その目的達成にむけて親子が蜜月状態の中で会社を設立した直後であり、何よりも一日も早くその事業の進展を図ることが優先した時期であったことは言うまでもない。また、当時すでにアメリカにおける訴訟対策に腐心し、追われていた時期でもあり、亡青木固が胃癌手術後という最悪の健康状態お置かれていた時期でもあった。そのような、所謂バタバタしていた時期に、税務対策(甲第一号証)や、訴訟対策(甲第二号証)のような格別の必要性がなければ、また特に書面を必要とする事情が発生しなければ、わざわざ書面化を考える余裕も気持ちも無かったとしても全く不思議はない。巷間では、親しい間柄での関係においては、よくあることで、決して珍しいことではない。
<2> さて、原判決が、書面のないことの不自然さを云々する理由として、直接的には、前記(ア)において、原判決は代金一五億円の対象権利が非常に広範であることを理由としているが、これとの関連で原判決が問題にしているのは、前記(イ)の甲第三号証の技術援助契約の更新拒絶をした昭和五八年一二月二日までの間に乙第六号証の一・二乃至乙第九号証の一・二の権利について権利移転が可能なのにその移転がないこと、(オ)の甲第一号証の中に乙第六号証の一・二の記載のないことの三点であるので、これらについての原判決の判断の誤りを指摘する。
<3> 先ず第一に、上告人が主張する包括的権利の譲渡対象権利の範囲であるが、これは、原判決がその存在を推定した上告人会社設立当初の、包括的権利の専属的実施権設定対象と全く同じであることは、争いのない事実である。
もし、譲渡契約に変更される際、その対象権利の範囲を拡張したというのであれば、原判決の言うような書面による範囲の特定が問題になるとも言えようが、本件のように全く同一権利とすれば、その範囲が広範かどうかは、包括的権利譲渡の存在を推定するための障害とはならないし、この推定を覆すに足りる理由とはならない。
<4> 次に、原判決は、甲第三号証の技術援助契約の更新が四回あった間、四件の権利移転、又は出願人名義変更はできた筈であるのに、それが履行されていないことは、包括的権利譲渡を疑わせる理由の一つであるとする。この点も、包括的権利の譲渡契約に関し書面がないことと同次元の発想による理由であるから、譲渡契約の存在に至る推定を覆す積極的理由ではない。
さて、上告人には、上告人会社設立を依頼してきた父親である亡青木固についての信頼があったことは当然である。従来、日精樹脂に対する関係では、亡青木固は信義則に反するような行為をしたことがなかったという経験則に照らしてもその信頼は厚かった。よもや亡青木固が背信行為をするなど考えてもみなかったのである。従って、上告人代表者青木大一としては、原判決が考えたこととは逆に、青研が背信行為に出た昭和五九年ころまでは、強いて権利移転手続きを求める必要性もなかったのである。しかし、昭和五九年四月ころ、青研が突如亡青木固の権利を使って、ASB機の製造販売を始めるに至って、初めて亡青木固の裏切り行為、突然の豹変ぶりに慌てたということが真相であり、これを契機に上告人は、止むなく本件訴訟を提起せざるをえない状況に立たされたのである。
<5> 次に、原判決は、甲第一号証に、昭和五三年一〇月三一日登録された(出願は昭和四八年六月二九日)乙第六号証の記載の権利が記載されていないことを問題にする。
即ち、原判決は、甲第一号証が税務目的で作成されたとするならば、その権利の中に、すでに登録ずみの乙第六号証の権利を記載することができたのだから、これの記載洩れが単に手落ちであるとする趣旨の青木大一の供述はにわかに採用できないと言う。しかし、これも、前<1>で述べたことと同様理由にはならない。
なぜなら、青木大一が、本人尋問(昭和六三年五月二日)において、この権利を甲第一号証に記載しなかった理由を尋問されたことに対し、供述しているところは、「出願は四八年で、実際の一番中心となった特許の九五九九四七(九五九五四七の誤り)に遡った青木固研究所が設立される以前に出願された実用新案権なので、事務上落ちたのではなりませんかね」ということである。(頭番号五一参照) 乙第六号証の権利は、その記載によれば出願日は昭和四八年六月二九日であり亡青木固の日精樹脂時代の出願にかかる権利であるところ、ASB機製造販売のために設立した上告人会社の関心は、その契機となった基本特許九五九五四七号に終始していたため、それ以前の日精樹脂時代の権利について、事務的に落とすという結果になったことは容易に想像できるところである。このように、その記載を漏らした点についての事情にわたる供述内容は、甲第六二号証の二の青研の登記簿謄本(設立年月日は昭和五一年三月二二日と記載されている。)や、乙第六号証の記載事実と合致しており、却ってその信用性は高い。
しかるに、原判決は青木大一の供述の信用性について、他の証拠から容易に確認できるのに、これを怠り審理を尽くさなかった結果、青木大一本人の供述を、俄に採用できないとして退けたのであり、審理不尽、採証法則の誤りは明白である。
審理不尽、採証法則の誤りの結果の判断は、違法な判断であることは言うまでもないが たった一件の権利の記載漏れを理由として、包括的権利の専属的実施契約がのち包括的権利譲渡に変わり、代金一五億円が支払われた事実、譲渡に変わるに至った状況の変化、包括的権利に関し亡青木固乃至は亡青木固の承継人からのクレームや実施料請求が皆無であるという事実から、包括的権利譲渡の存在を経験則上合理的に推定できるのに、これをすべて覆すことができるような重大な理由でないことは言うまでもない。包括的権利の専属的実施契約について書面がないと同様、包括的権利譲渡に関する書面も殊更に作る必要性が無かったのだから、書面のないことが包括的権利譲渡を否定する証拠とすることはできない。むしろ、甲第一号証や、甲第二号証など、その必要性に迫られたものについてのみ書類が作られたこと自体が、包括的権利譲渡全般については、書面を殊更に作る必要性がなかった、とする上告人の終始一貫した主張を裏付ける重要な証拠である。
<6> 次に、原判決は、立証責任を上告人に負担させるに至った理由、即ち、包括的権利権利の譲渡契約の存在を疑わせる事情として、甲第三号証の青研との技術援助契約に関連して、前記(ウ)と(エ)に記載した二つの理由を挙げている。
しかし、ここに挙げる理由は、原判決が、敢えて甲第三号証と乙第一三号証による旨記載しているとおり、これらの証拠によってなされた認定判断であることは言うまでもない。すでに詳述したように、乙第一三号証は証拠価値のない証拠であり、甲第三号証についてはその適用対象を誤ったものであるから、原判決の理由はいずれも誤った証拠を採用した結果の結論である
<7> のみならず、以下に述べるように、甲第三号証の契約更新拒絶理由として原判決が認定した事実も、証拠に基づかない「想像」による結論で、この部分を見ても原判決が証拠に基づかない違法な判決であることがわかる。
まず、原判決は、乙第一三号証、乙第一号証、青木茂人の供述結果から、青研が甲第三号証の契約の更新拒絶をした理由を、乙第一号証前文に『控訴人(上告人)がASB機の「特許を始めその関連機器装置に関する権利及びノウハウを専有している。」との一項がなり、この点が事実に反すると青研(亡青木固)が判断したことによるものであることが認められる。』と認定した。
しかし、甲第三号証契約についての、青研からの更新拒絶通知書である甲第二〇号証に、更新拒絶理由として記載されている事項は、「・・条件に、著しい隔たりがあるばかりか、今後弊社は貴社に隷属せねばならないように受け止められ、・・・・・」ということである。原判決が明記したような具体的理由は一切記載されていない。
ところで、甲第二〇号証にある「条件の著しい隔たり」とは、甲第三号証第五条の金員改定内容の問題である。青木大一の本人の第七回(昭和六二年一二月一四日)尋問調書一三頁~一四頁、および第一五回(平成元年六月二六日)尋問調書頭番号七五によれば、甲第三号証契約の改定交渉での問題点が、金額の問題であったことは明らかである。
次に「隷属云々」について、青木茂人は本人尋問における乙第一号証を示しての質問に対し、『二枚目の第二条の辺に「青研で開発された技術及びノウハウはASBの専有とし」とありますが、・・・』と答えており、原判決が認定した右乙第一号証の前文が解約の理由ではなく、乙第一号証の本文第二条の文言がその解約理由であると言っている。(第一二回、昭和六三年一一月二八日、青木茂人供述調書頭番号二〇)
従って、解約の原因は、原判決が理由とした乙第一号証前文に書かれたことではないことは明白であり、原判決の認定はここでも明らかに間違っていることは明白である。
のみならず、前記、青木茂人の供述の「隷属することになる」との理由は、甲第三号証をみれば明らかなとおり、全く理由にならない荒唐無稽なことである。
なぜなら、甲第三号証は、第一条の、青研はASB機の製造販売活動に使用することができるすべての情報を提供しなければならないことに始まり、技術援助をする義務を負い、他方、上告人はその対価として第五条において、青研が供与する実施許諾及び役務の対価としてASBの順販売価格の一〇%を支払うこと、第七条において、第四条の規定により青研が改良及び試作に要した費用はすべて上告人が支払うことの結果、改良及び試作の結果は全部上告人に引き渡すことになっている。
従って、青木茂人が解約理由として供述する「青研で開発された技術及びノウハウはASB機の専有とし・・」ということは、甲第三号証の当初の契約からして当然の結果となることであり、今更問題となることはありえない。即ち、甲第三号証の第七条によれば、上告人が青研に対し、青研の役務の対価と改良及び試作の費用を支払えば、当然にその支払い対象となった技術やノウハウは上告人に引き渡され上告人の専有下に入ることになることは明らかだからである。甲第三号証の原契約は、昭和五三年一二月二〇日契約した当時から、昭和五八年一二月に至るまで、一言半句変わらないのだから、今更この文言と同内容のことを、表現の仕方が少々異なったからといって、「隷属・・」を云々すること自体間違いである。
何の理由にもならない。
<8> 次に、原判決は、甲第三号証の技術援助の前提は、亡青木固の包括的権利の無償実施許諾にあり、それが四回更新されたのだから、亡青木固に包括的権利が帰属していることが前堤であると言う。しかし、この論理は間違っている。
青研との技術援助契約は、ASB機製造販売のための技術援助であるから、上告人がASB機に関する包括的権利の実施ができることが前提ではあることは当然であるが、その権利が誰に帰属しているかは問題ではない。要するに上告人においてASB機に関する権利が実施できる立場にあるか否かだけが問題である。
従って、当初は亡青木固に属していた権利が、のちに上告人に帰属したとすれば、当然に青研との技術援助契約を継続していく理由があるからである。原判決の論理は全く混乱しているが、これは何度も言うように、このような混乱は、裁判官が証拠価値のない乙第一三号証により、亡青木固寄りの心証を形成し、その心証に従った色眼鏡ですべてを判断した結果という他ない。
もし、原判決が認定したような更新拒絶の理由が真実であったなら、甲第二〇号証の解約理由にその旨が明確に記載れているのが通常であろう。もし、本当に包括的権利の帰属についての乙第一号証の表現に異義があったのであれば、真実亡青木固が自分に帰属している権利であると認識し、これと異なった上告人の申し出に対して真実を主張するつもりがあったのであれば、当然そのことが解約理由として記載されていなければならない。何故その点を直截に記載しなかったのであろうか。
青研の代表取締役は亡青木固であり、代表取締役亡青木固の名義で出した解約通知であるから、当然亡青木固の意向がその表現に現れてしかるべきである。
乙第一三号証を読めば誰にでもわかるように、亡青木固は、自己主張の激しい人物である。その亡青木固が代表取締役として発信した文書であることを認識すべきである。
しかし、原判決は、甲第二〇号証を証拠として、前記(イ)において援用しているにも拘わらず、解約理由についての判断ではこれを無視し、一読すれば容易に理解できる記載内容を吟味することを怠ったのみならず、青木茂人や青木大一の各本人尋問の結果も正確に読まないまま(控訴審において直接尋問の機会はなかったので、控訴審裁判官は第一審の供述調書の記載から判断している)、また、包括的権利は亡青木固に帰属し、かつ包括的権利の無償実施が甲第三号証契約の前提であるというような誤った前提に基づいてなした認定であり、明らかに審理不尽、採証法則の誤りに起因する違法な判決である。証拠に基づかない判決であるといっても過言ではない。
<9> さらに、原判決は、甲第二号証に関する青木大一本人の供述が、包括的権利譲渡を意味するものとしては、曖昧で一貫性を欠く矛盾した内容であると判断し、従って、包括的権利の譲渡契約の存在は推定できないとしたが、これは、証拠価値のない乙第一三号証を証拠として採用し、さらに甲第三号証の当事者を混同させて判断の材料とし、その他重要な客観的事実を示す証拠の数々を無視し、青木大一本人の供述を子細に検討しないという審理不尽の結果にほかならない。
誤った心証に基づく色眼鏡なしに、青木大一の供述を子細に読めば、原判決の認定が誤りであることは明白である。
原判決は、第九回および第一〇回口頭弁論期日における青木大一本人尋問において、甲第二号証がASB機に関する包括的権利の売買契約書である旨供述しているという。確かに、第九回において、甲第二号証についてアメリカ訴訟目的を取り立てて具体的に供述していない。しかし、その表現内容は、甲第一号証と甲第二号証との違いについて尋ねられたことに対して答えている箇所で、青木大一は内容の違いについての質問であると捉えた結果、特に権利内容に関しての違いを述べているものである。第一〇回において、「アメリカの訴訟にも関連する」と付加的に述べていると言うが、訴訟のためどいう表現なら、第七回の口頭弁論での供述でも供述しており、突然此処で訴訟を云々したわけではない。原判決は「第七回、第九回の口頭弁論期日においては、前掲甲第二号証がASB機に関する包括的権利譲渡を意味するものとしては曖昧であることを前提として・・・」と言うが、曖昧であることを前提としてと認定したのは一重に原判決であって、青木大一本人は取り立てて曖昧である旨表現をしているわけではない。
更に、原判決の、「第一一回口頭弁論期日の本人尋問においては、これが訴訟対策文書であると述べ、従前の供述を変更している。」との認定に至っては言語道断といわざるを得ない。同じ項目の中で、原判決は、『ただし、第第一〇回口頭弁論期日には「アメリカ訴訟にも関連する」と述べ付加的に訴訟対策文書としての性質を有する旨の供述をしている』としているが、ここで原判決が取り上げた供述について、その尋問調書の該当箇所を読めば明白なとおり、被上告人代理人の反対尋問における質問である「これはアメリカ訴訟にも関連するのですか」に対する答えとして、青木大一本人は、単に「はい」と答えたものにすぎない。
しかるに、この部分を捉えての原判決の前記認定は、明らかに作為に満ちたものであり間違っている。青木大一本人が「アメリカ訴訟にも」という言葉を使って供述した箇所でないことは重要である。
このような作為的とも言える原判決の認定をみれば、原判決が如何に乙第一三号証に左右され、これによってあらかじめ作られた心証をもとに、その心証に合致するように証拠を読んだのであり、その判決態度が極めて恣意的であったことがわかる。
このように供述内容を子細に検討すれば、質問内容に対する応答として、その質問内容に合わせて答えているから、表現の仕方に差異があるが、その供述したい内容には差異がない。従って矛盾はない。
従って、原判決の青木大一本人の供述に対する、原判決のこのような弾劾も、包括的権利譲渡についての推定を覆す理由とはならない。
<10> 最後に、原判決は、上告人が主張した被上告人らから権利について使用の差し止めや使用料の支払いがないことについて、被上告人は「第一審判決に至るまでは使用の差し止めや使用料の請求がないことを認めるに止まり、・・・」として第一審判決後については被上告人の態度は不明であること、本件訴訟に応訴したこと自体、ASB機に関する権利の帰属を争う態度を示していると判断した。
しかし、原判決の表現の中では、第一審判決以後、被上告人から使用の差し止めや使用料の請求があったことの主張が被上告人からあったとか、その旨の証拠があるとかについて一言半句も認定していない。これは、第一審判決に至るまでも、また、それ以後も、被上告人がこの点について全く主張せず、かつ何一つ証拠となるものを提出しなかったのだから、当然のことである。
原審において、終始上告人は、被上告人から使用の差し止めも使用料の請求もないと言い続けてきた。そして、そのことが一五億円の支払いとあいまって、包括的権利譲渡の存在の根拠となる間接事実として主張してきたのである。この上告人の主張に対し、被上告人は積極的に否認したこともなく、積極的に証拠を提出したこともなかったのである。これは、上告人の原審での主張が真実であったことの証左である。
原判決は、被上告人から、使用の差し止めや使用料の請求がないことを、即ち被上告人の不作為をどのようにして上告人に立証をせよというのであろうか。これは悪魔の証明に属することであり、上告人に不能を強いるものであり、このことは包括的権利譲渡の存在を否定する理由とならない。
次に、原判決は、応訴したことは被上告人が包括的権利の帰属を争う態度であると認定する。しかし、「盗人にも三分の理」という諺さえあることを忘れてはならない。亡青木固にしてみれば、自らが犯した背信行為の結果であるとの認識があったとしても、息子から訴訟という弓を射られれば、反発して争う態度にでるのが普通であろう。ましてや、自己顕示の格段に強い性格である亡青木固が応訴することは当然すぎることであり不思議でないが、むしろ、その亡青木固が単に応訴に止まっていることは重要である。
自己顕示の強い人物である亡青木固であるから、乙第一三号証に記載したようなことを、亡青木固自身真実と認識していたならば、昭和五六年ころからすでに亡青木固と上告人との関係はぎくしゃくしていたようである(青木大一本人の供述、青木茂人本人の供述、)から、特に、昭和五八年一二月、青研との契約更新拒絶を期に上告人と亡青木固の間は断絶したのであるから、包括的権利の使用差し止め、或いは使用料の請求があっても不思議でない。のみならず、息子から訴訟をされて怒り心頭に発していたことは事実であるから(普通の親なら誰も同じ心境になるであろう。勿論、中には悲しみに打ちしおれてしまうタイプの人間もあるだろうが、普通は「何を!、何だ、とんでもない」という気持ちになり、怒り心頭に発するであろう。)、親に対し虚偽の事実によって弓を引いたけしからん息子を懲らしめるため、自分の権利を主張し、自分の権利を明確にするために本件訴訟において反訴提起があっても不思議ではない。むしろ反訴があることが当然であろう。
本件訴訟に対し、亡青木固が消極的態度に徹したということは、亡青木固の内心は、腹は立つが金一五億円も貰って上告人に権利を売ったのだから仕方がないというところで、積極的な訴訟までする勇気はなかった、と見るのが相当であり経験則に合致する。
四、原判決が、二件の譲渡代金として一五億円は高価すぎること言っていることについて異論を持つものはないであろう。
原判決は高すぎると判断したのであるから、もっと証拠を精査して審理を尽くすべきであった。
甲第三号証第五条により、上告人が青研に支払ったのは、総額で約一五億円弱であることはすでに述べたとおりである。原判決は包括的権利の専属的実施料は、この青研への支払い(一〇%の対価)でよいと亡青木固が考えたと想像を働かせたのである。使用料は無償であるとの前提に立てば、仮に原判決の認定したように、亡青木固から上告人に譲渡された権利が二件だけとしても、都合三〇億円が上告人から包括的権利の対価として支払われたことになる。勿論甲第三号証による支払いの全てが二件の譲渡代金に加算されるわけではないであろうが、いずれにしても一五億円以上の金員を僅か二件に支払ったことになることは言うまでもない。
その上、青木大一本人の供述によれば、亡青木固の権利に関するアメリカ訴訟に要した費用は、約三億五〇〇〇万円であったのだから、原判決の立場に立てば、上告人は、亡青木固のために、金一八億五〇〇〇万円プラス甲第三号証の一〇%のなにがしかを加算した大金を、亡青木固に支払ったことになる。とんでもない巨額な対価になる。もっとも、青研に対する支払いは、亡青木固個人とは別個の問題であり、これを除外して考えなければならないことは言うまでもない。従って、亡青木固への譲渡代金一五億円にアメリカ訴訟の費用金三億五〇〇〇万円を加え、合計金一八億五〇〇〇万円、更に、亡青木固は当初の包括的権利の専属的実施契約のままであれば、毎年上告人の売上の二%を貰うことになっていたのだから、それが譲渡に変更になったことにより、将来の実施料分まで先取りして受領したのであるから、その中間利息を考えると二〇億円を下らないことになる。
たった二件の権利だけに、たった二件の権利だけでは、ASB機の製造販売はできないことは自明のことであるのに、一体誰がどんな理由があって実質給付二〇億円を下らない巨額の対価を支払うであろうか。
包括的権利の専属的実施権の設定契約が基本的事実として存在した以降、アメリカ訴訟と亡青木固の病気という事態の発生を契機にしての譲渡代金一五億円の支払い(前記したように、実質的に考えれば二〇億円を下らない)、そして以後実施料の請求、権利の使用差し止め請求がないという事実から、一体誰が包括的権利譲渡の推定を否定できるだろうか。
このような経験則に基づく推定を中断し、経験則に基づく合理的推定を覆し、立証責任を上告人に負担させ、包括的権利譲渡契約の存在を否定した原判決は、民事訴訟法第三九四条の法令に違背し、かつ、第三九五条第一項第六号に該当する違法な判決であるから、速やかに破棄を求めるものである。
以上